遅ればせながら「紳士と淑女」で初めて著者を知り、遡って他の著作を読んでいますが
これも良かった!どれほどいいかというとゆっくり読むのに苦労するほど良いです。
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妻の肖像 単行本 – 2005/8/1
徳岡 孝夫
(著)
- 本の長さ213ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2005/8/1
- ISBN-104163674209
- ISBN-13978-4163674209
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2005/8/1)
- 発売日 : 2005/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 213ページ
- ISBN-10 : 4163674209
- ISBN-13 : 978-4163674209
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,099,028位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 30,660位エッセー・随筆 (本)
- - 96,063位ビジネス・経済 (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は52歳の時に妻を亡くした。脳幹をやられ集中治療室で生命はあるものの意識も言葉もうしなった。
海外にいた私は急いで帰国して物言わぬ妻と対面した。狭心症に糖尿病のある私は99%以上の確率で
死ぬのは私が先と思っていた。一人息子がちょうど大学進学が決まりほっとしたのもつかの間のことであった。
それから半年、病院は何か月も1か所に置けないということで3回変わり、付き添いの看護士から、転院ではなく
家に帰りたがっているようよと聞いた。しかし、私には仕事もあり酸素吸入が必要な身体を面倒見る自信がなかった。
亡くなってようやく家に連れて帰った。それから15年を経て、今にして思えばもっと他の名医に当たれば良かったとか
家で治療すればよかったとか倒れた日や命日になると思い出し、悔やむことがある。
しかし、徳岡氏のようにお若いとはいえ70歳だ。その70の女房の死にそこまで書けるであろうか。重いものが残った。
海外にいた私は急いで帰国して物言わぬ妻と対面した。狭心症に糖尿病のある私は99%以上の確率で
死ぬのは私が先と思っていた。一人息子がちょうど大学進学が決まりほっとしたのもつかの間のことであった。
それから半年、病院は何か月も1か所に置けないということで3回変わり、付き添いの看護士から、転院ではなく
家に帰りたがっているようよと聞いた。しかし、私には仕事もあり酸素吸入が必要な身体を面倒見る自信がなかった。
亡くなってようやく家に連れて帰った。それから15年を経て、今にして思えばもっと他の名医に当たれば良かったとか
家で治療すればよかったとか倒れた日や命日になると思い出し、悔やむことがある。
しかし、徳岡氏のようにお若いとはいえ70歳だ。その70の女房の死にそこまで書けるであろうか。重いものが残った。
2005年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
45年余共に歩んだ妻の死という感傷に流れがちな主題を扱いながら、むしろ客観報道のように、残された自分の心情と二人の思い出を見つめる名文であるー何よりも、これが本書の特徴であろう。
「おばあちゃん育ち、甘えん坊」の「私」を、終生、恋女房の響きをもって「あなた」と呼んだ妻「和子」は、「私」が思い切って買った1カラットのダイヤの指輪を金庫に仕舞い、首相官邸園遊会への招待に「あほらしい。あなた独りで行ってきなさいよ」と徹底した出無精で、生まれて初めての東京の、地下鉄の浅草駅で「大阪駅行きますか?」と聞いて駅員を驚倒させ、また、温泉宿でのご祝儀の世間相場がわからず後で妹をあきれさせる法外な額を包み、そして、右腎臓ガンを得て70歳で先立っていった。
「私」はそれらの細々とした思い出を一つ一つなぞるように、克明に再現し、妻の死を悼む。《私は健康なときは景気がいいが、少しでも熱が出たり何か失敗すると、途端に弱虫になる。すぐ、和子ーォと悲鳴を上げる。妻を喪ったいま、私は死ぬ前には誰を、どう呼んだらいいのかと途方に暮れる。》その深い悲しみが、表題ともなっている最終章「妻の肖像」を描いた画家との奇跡的な遭遇に導いているようだ。
「おばあちゃん育ち、甘えん坊」の「私」を、終生、恋女房の響きをもって「あなた」と呼んだ妻「和子」は、「私」が思い切って買った1カラットのダイヤの指輪を金庫に仕舞い、首相官邸園遊会への招待に「あほらしい。あなた独りで行ってきなさいよ」と徹底した出無精で、生まれて初めての東京の、地下鉄の浅草駅で「大阪駅行きますか?」と聞いて駅員を驚倒させ、また、温泉宿でのご祝儀の世間相場がわからず後で妹をあきれさせる法外な額を包み、そして、右腎臓ガンを得て70歳で先立っていった。
「私」はそれらの細々とした思い出を一つ一つなぞるように、克明に再現し、妻の死を悼む。《私は健康なときは景気がいいが、少しでも熱が出たり何か失敗すると、途端に弱虫になる。すぐ、和子ーォと悲鳴を上げる。妻を喪ったいま、私は死ぬ前には誰を、どう呼んだらいいのかと途方に暮れる。》その深い悲しみが、表題ともなっている最終章「妻の肖像」を描いた画家との奇跡的な遭遇に導いているようだ。
2011年8月8日に日本でレビュー済み
徳岡さんの時事エッセイやルポが好きで、これまでに10冊近くは読んでいる。だが今回、書店でふと文庫版の本書を手に取り、「こんなのがあったのか」と購入して読了し、結果、これまでにない感銘を受けるに至った。文体は簡潔・平明にして、スタンスは冷静・沈着。それでいて、随所にユーモアが込められ、しかも風が吹き込んでくるような筆致は、昔と変わらず。そこに、タテ軸として最愛の妻和子さんとの出会いから死別までの45年間を据え、同時に、ジャーナリストとしての自らの足取りも淡々と気負いなくリポートされている。
最初は「どうしてこんなプライベートなことを」と思い、新聞社時代を含む教育や家計の変遷などを細かく報告するくだりに接するに及び、やっと「より私小説に近づいたエッセイ、ということか」と得心した。もしかすると、徳岡さんの代表作に数え上げてもおかしくない傑作エッセイかもしれない。
最初は「どうしてこんなプライベートなことを」と思い、新聞社時代を含む教育や家計の変遷などを細かく報告するくだりに接するに及び、やっと「より私小説に近づいたエッセイ、ということか」と得心した。もしかすると、徳岡さんの代表作に数え上げてもおかしくない傑作エッセイかもしれない。
2006年3月20日に日本でレビュー済み
著者が自らの妻を看取り、
その出会いから別れまでを
淡々とつづった本書。
決して劇的なドラマがかかれたわけではなく、
ささやかな言葉のやりとりや、日常の出来事が
書かれているだけなのだが、心震わせるような読後感があった。
一見、地味な本だが
人間の愛情というものがこれほども暖かいものだと
感じさせる好著。
その出会いから別れまでを
淡々とつづった本書。
決して劇的なドラマがかかれたわけではなく、
ささやかな言葉のやりとりや、日常の出来事が
書かれているだけなのだが、心震わせるような読後感があった。
一見、地味な本だが
人間の愛情というものがこれほども暖かいものだと
感じさせる好著。
2009年8月4日に日本でレビュー済み
ジャーナリスト、徳岡孝夫氏の波乱万丈な社会活動とは裏腹に、妻、和子さんとのささやかな関係を、いとおしく、大切に、書かれた名文。
人生の大きな局面の描写でも、決しておごったり、いたずらに感情的になることは無く、どちらといえば庶民的な夫婦の対応を、背伸びをせずに爽やかに記述している。
読み終えて、夫婦の絆の大切さが身に滲み、心が温まった。
徳岡孝夫氏の人柄がにじみ出ている良著だと感じた。
人生の大きな局面の描写でも、決しておごったり、いたずらに感情的になることは無く、どちらといえば庶民的な夫婦の対応を、背伸びをせずに爽やかに記述している。
読み終えて、夫婦の絆の大切さが身に滲み、心が温まった。
徳岡孝夫氏の人柄がにじみ出ている良著だと感じた。
2011年9月4日に日本でレビュー済み
亡き妻を偲ぶ徳岡孝夫氏のエッセー集。
「十中八九の確率で、私が先に死んで妻・和子が後に残る」という思いは裏切られ、先に妻が病に倒れた。徳岡氏が亡き妻を偲んだ18篇のエッセーが収められている。
4年前、本屋で立ち読みし、この中の、『夜行寝台「瀬戸」』という短いエッセーに惹かれて買った。亡き妻の写真を四国高松の妻の実家へ持っていき一泊させる話だ。
妻を幸福にできたのか、自問自答する徳岡氏。彼の人間的な誠実さが伝わってくる作品だと思う。
最後の「妻の肖像」 は、こんな巡り合わせがあるものかと思う感動的な話。誠実さ故の出来事だと思いたい。
「十中八九の確率で、私が先に死んで妻・和子が後に残る」という思いは裏切られ、先に妻が病に倒れた。徳岡氏が亡き妻を偲んだ18篇のエッセーが収められている。
4年前、本屋で立ち読みし、この中の、『夜行寝台「瀬戸」』という短いエッセーに惹かれて買った。亡き妻の写真を四国高松の妻の実家へ持っていき一泊させる話だ。
妻を幸福にできたのか、自問自答する徳岡氏。彼の人間的な誠実さが伝わってくる作品だと思う。
最後の「妻の肖像」 は、こんな巡り合わせがあるものかと思う感動的な話。誠実さ故の出来事だと思いたい。